ヴィーガンはなぜウザがられたのか

以前このブログで、ツイッターはリベラル寄りの人が多いのかな~と書いたが、なんとなく最近は認識が変わってきた。結論から言えばツイッターには、個人主義をこじらせた人が多いのだ。
個人主義については今回はパスするけど、学校教育をはじめとする集団主義への反発が、日本のインターネットシーンには伝統的に見られる気はする。

 

そう思ったきっかけとして、もうかなり前になるけど、ツイッターヴィーガン叩きが流行った、ということがある(今となっては記憶以外に証拠が存在しないが)。ヴィーガニズムは流行ってないのに不思議なものである。

このとき見られたツイッター批判のメインは「自分でやるならいいけど人に押し付けるな」だった。ヴィーガン自然派ママとか反ワクチン運動家と結びつけるような動きもあった(いや、実際かぶってはいるけど)。というか主張が理解されずに「なんか過激な人々」とみなすほうが主流だった。しかし、問題はそんなに単純なのだろうか。

 

 

社会運動としてのヴィーガニズムが(つまり単なる食習慣ではないということ)、どのような主張をしているか、まとめてみる。なおヴィーガンの中には、食べるだけでなく毛皮を使うとかにも反対する人が多いので、その場合は適当に読み替えてほしい。ついでに、ツイッタラーの批判がなんでポイントがずれてるかを考え、ポイントがずれてない批判を考えてみる。

先に言うと、僕は環境問題に関心があるが、ヴィーガニズムに対してはそんなに関心はないし賛同もしてない。

 

 

①動物を殺して食べることは倫理的に許されない、かわいそうだ

 

これを聞くと苦笑って感じはするけど、侮るなかれ、けっこう手ごわい主張である。

上にも書いたように「そう思うのは個人の意見だから押し付けるな」という反論は、ここでは適切ではない。

 

ヴィーガンは(便宜的にそう書かせてください)、動物を殺して食べることは悪いことではない・仕方がない、と考えている。

しかし、非ヴィーガンであっても、目の前で人が殺されそうになっていたら「人を殺しちゃダメだと思うのは僕個人の意見だから押し付けちゃダメだな~」と思う人はまあいないだろう。なんとかして止めようとするだろう。

 

動物を殺して食べることは悪いことではない・仕方がないと考えつつ、人間を殺すことは悪いことだと考えるのも、明確な根拠はない。

ヴィーガンは(便宜的にそう書かせてください)、動物を殺して食べることも、人間を殺すことと同様に悪いことだと考えている。となれば、ほかの人が動物を殺して食べることを止めないわけにはいくまい。

逆にいえば、「押し付けるな」論法を採用すると、首狩りとか人柱とかFGMとかにも反対できなくなってしまう。

 

では、これに代わる反論を考えてみる。

「動物を殺して食べることは倫理的に許されない」というが、例えば飲み水にミジンコが入ってる場合はどうだろう。そもそも我々の体は、毎日数えきれない病原体を殺しているから健康でいられる。

そんななかで、ウシとかブタとかだけ殺してはいけないというのはご都合主義じゃなかろうか?というのが骨子だ。

 

この反論に対する反論として「知能が高く、意識があるものは殺して食べてはいけない」とか来ることが考えられるだろう。これに対する答えはいろいろ考えられる。

ひとつは「知能が高い」「意識がある」の基準があいまいなことだ。前回のブログで書いたように、チンパンジーはヒトの子ども並みに知能が高いが、言葉はしゃべれない。この場合知能が高いという表現は正しいだろうか。また、それを測ったところで、所詮ヒトからの目線に過ぎないんじゃないだろうか。

もうひとつは、知能・意識で区切ることの矛盾である。知能や意識のレベルが低いものは殺して食べていいなら、赤ちゃんや知的障害者を食べていいだろうか?

 

僕は「ヒトという種に属するものは食べてはいけない」という倫理をとりあえず採用している。というか多くの人がそうだと思う。ヒトとヒトじゃないの境目はいまのところ明確なので、まあ妥当かなと思っている。

 

 

②食べるために動物を飼うのは倫理的に許されない、かわいそうだ

 

食べるために動物を飼うこと全般を忌避する人がいる。たとえば、食用品種は育種の結果自然ではありえない形になってしまってる、とか、単純に閉じ込めておくのはいけないことだ、とかである。

これについては、それによって動物がどの程度のストレスを受けているかをちゃんと調べることが必要になるだろう(けっこう情緒的な感想で語ってる人が多い)。個人的には動物が「俺はこうやって飼われて、いつか肉になるんだ…」と悲しんでいるとはあまり思えないけど。

一方、飼い方・屠殺法が残酷だという人もいる。これについては、動物をストレスのない環境で育て、苦しまない屠殺をするようにすればよい。改善の余地はまだまだあるだろう。残酷な飼い方・屠殺をする業者から買わない、というのはわりとよい活動かもしれない。 

 

 

③畜産は環境負荷が大きいからやめるべきだ

 

これがたぶんいちばん手ごわい。これも①と同じ理由で、個人の自由とはいえない。

まず、畜産は環境負荷が大きいというのは本当である。人間が食べるウシに食べさせるトウモロコシを育てるためには広大な農地が必要で、トウモロコシを直接食べればずっと狭い土地ですむ。地下水とか土壌栄養も少なくてすむ。

これに対しては、環境負荷が大きいという理由だけで、世界中の人が自主的に肉食をやめると考えるのはナイーブすぎる、と反論してみる。ヴィーガンは、たとえば法律で畜産を禁止するよう政府に働きかけるとか、そういう活動をしたほうがよい。

 

 

④肉はおいしくない、健康に悪い

 

これは「知るか」である。

 

 

という感じ。肉を食べたい人は、ヴィーガンに絡まれたら「食べていい動物の範囲は?それって根拠あんの?」と言いましょう。

日本ではヴィーガニズムはこの先もあまり流行りそうにないと思う。仏教の精進料理が身近にありながら、1,000年以上浸透しなかったんだから間違いない。あと「食べ物に感謝する」という風習があること、また社会運動の意識が低いことも理由である。

個人的には、畜産はちゃんと牧場で動物を育ててるのでわりとマシだと思っている。育てないで海からじゃんじゃか取ってくるだけの水産業のほうが心配である。

  

ヴィーガンは現状、主張をちゃんとせず、情緒的な表現に頼りがちなため(つまりお気持ちで人を動かそうとするため)誤解を招きやすい印象がある。

ただ彼らの名誉のために言うと、ヴィーガニズムは個人の信条であると同時に社会運動でもあるので、ほかの人の行動を変えようとするのは自然な成り行きである。このへんが理解されず、個人主義をこじらせたツイッタラーたちの格好の餌食になったのだろう。