なぜ銀行員はみんな同じに見えるのか

銀行員はみんな同じに見える。いや、人と接する仕事をしているホワイトカラーならみんな同じ格好をしている。

カンタンにいえば「誠実そう」な見た目である。黒髪を男性ならワックスで固め、女性なら後ろに縛る。男性ならひげは剃り、女性はパーツよりベース中心のメイク。黒いスーツに白いシャツ。ピアスとかその類のものはしない。タトゥーなんてもってのほかである。

不思議なことに、実力主義といわれる現代のほうが、見た目の重要性は上がっているように思える。なぜだろう?

 

 

話が飛ぶけど、最初に都市社会と村落社会の区別から書いてみる。

 

ひとりの人間が自然に関係を維持できる他人の数は、何人くらいだろうか。

もちろん個人差が大きいし、明確な答えは出ないが、大脳皮質の大きさから平均150人くらいとした推計がある(ダンバー数)。

 

村落社会は、普段会う人の数がこれを下回る社会である。いっぽう都市社会は、普段会う人数がこれをはるかに超える。(もちろん、これはグラデーションで、明確な境界はない。村落と都市の間もある。まち社会というか)

 

「全員知り合い」の村落社会では、人々は相手が信用に足る人物かどうか知っている状態で関わりあう。一方都市社会では、知らない人と毎日会うことになるため、そんなことは不可能である。

そこで、信用の代わりに用いられるのが「契約」である。知らない人と話をして交渉し、合意できたら約束をする。

(そう考えると、都市と契約はセットであるといえそう。どちらも文明の基本的な要素である。)

 

たとえば質屋は、相手が返してくれると信頼してお金を貸すのではない。高価なモノを預かることで、相手がお金を返すよう仕向ける。もしお金が返ってこなくても、モノをもらってしまうからオーケーである。信頼関係はないし、必要ない。

 

 

 

で、銀行員の話に戻る。

銀行をはじめとして、現代はどの仕事も契約をしないと商売にならない。しかし、困ったことに、「知らない人と話をして交渉し、大丈夫そうなら約束をする」というのは、誰にでもできることではない。

それはそうだ。ヒトの大脳皮質が150人しか覚えないようになってるのは、それ以下の集団しか進化の過程で触れてこなかったからだ。本能的にできないことをするには訓練が必要である。

 

訓練を積んでいない人は、どんな状況でも村落社会の論理、つまり「相手が信頼できる人か」で物事を判断しようとする。初対面でもムリにそうするのだ。

では、銀行員が客に信頼されるためにできることはなんだろうか?

 

 

ハリー・ポッターと秘密の部屋」で、マルフォイはポリジュース薬を飲んだハリーとロンを信頼し、秘密をしゃべった。見た目がクラッブとゴイルだったからである。

つまり銀行員ができることは、「客が信頼している人に自分を似せること」である。

 

信頼に足る人間であると判断してもらうためには、信頼に足る人間の格好をマネすることが有効である。こうして「信頼に足る人」の服装や髪型は維持される。

最初の「信頼に足る人」が茶髪でピアスじゃらじゃらだったら、銀行員はそういう格好をしているに違いない。

 

 

もちろんこれは一般化しすぎだろうけど、全体の傾向としてはそんな感じに思える。

人の流動性が高まるほど、初対面の人が増える。そうなると、多くの人は相手が信頼できるか見た目で判断する。つまり見た目が重要になる。現代において、見た目が以前より重視されるように感じるのは、学歴や家柄というパラメーターが力を失いつつあるという要素もあるかもしれない。

僕に言わせれば、学歴や家柄を取り去ったところで、さらにいえば顔を隠したところで、人が人を公平に評価できるようにはならない。公平な評価なんて存在しないといってもいいかもしれない。