ダメ、ゼッタイ幸福論

ヘロインというクスリをご存じだろうか。たぶん名前くらいは聞いたことがあるだろう。アメリカでは社会問題になるくらい出回ってしまっているドラッグである。(もちろん違法)

性質としてはモルヒネのメチャクチャ強いやつで、快感も依存度もドラッグ界トップレベル。

その効能たるや、「常態の人間が一生のうちに体感し得る全ての『快感』の合計を上回る快感を瞬時に得ることに等しいと云われる」らしい。(Wikipedia調べ)

 

 

いや、ちょっと待ってほしい。

これは、人生にとって(哲学的に、というのは大げさにしても)大きな疑問を投げかけることにならないだろうか。

 

まず「"快感の合計"なんて計算できるのか?」などの疑問が頭をよぎるが、まあそれは措いておくとしよう。

 

人は誰しも、日々幸福を求めている。今の状態が幸福なら、それが崩れるのを恐れるし、逆にいま不幸なら、なんとかその状態から抜け出そうとする。

自分から不幸でいたい奴なんていないだろう(というか「不幸でいたい」という言い方が定義矛盾に近い)。

ただ、人生は複雑なので、そう簡単にずっと幸福ではいられない。いわゆる「人生山あり谷あり」というやつだ。

 

一方で、近代科学が明らかにしつつあるのは、感情も脳内物質の分泌量の違いにすぎないということだ。

愛情だったらオキシトシン、安心感だったらセロトニン、… まああんまり詳しくないが、脳内物質が我々の幸福度を決めていると言ってもそんなに間違いではないだろう。

 

 

我々は誰しも幸福になりたい。そして1回のヘロインで、ふつうの人生1回分以上の快楽を味わえる。

もしそうだとしたら、ヘロインを注射するのが最適解、ということになってしまわないだろうか。

それで一文無しになったり、投獄されたりしても関係ない。ヘロインを打った人は、もうすでに一文無しでも囚人でもない人々よりも多くの快楽を手にしているのだ。

 

人に迷惑をかけてでも幸せを求めていいのか?という論点はよく耳にするが、ドラッグにはそれがない、というのがこの思考実験のミソである。

 

もちろんこれは単なる思考実験で、いろんな反論ができる。「快楽と幸福はイコールではない」とか、「人生の価値は幸福度だけでは測れない」とか。

というか、大多数の人は(僕もだし、これを読んでる方々もきっと)薬物を使ってないわけだから、なにがしかの反論を用意して生きてるはずだ。

その反論にこそ、その人の幸福論が出る気がする。飲み会の雑談ネタにはちょっと重すぎるかもしれませんが…

(わかると思いますが、薬物乱用を推奨する意図はありません)