テロリストを羨ましく思うときがある

テロリストはたしかに卑怯者だ。恐怖を使って自分の考えを通そうとする。そのために、罪のない、弱い立場の人を傷つける。

しかし、テロリストは自分の声を聞いてもらえる。

 

前にもどっかで書いた気がするが、僕は人生の中で、「自分がどうしたいか」を聞かれたことがほとんどない。のみならず、奇妙なことに「僕がどうしたいか」を周りの人が勝手に決めていた。

 

僕は小さいころサッカーとかバドミントンを習わされていたが、いつの間にか僕が「やりたい」と言ったことになっていた。

勉強に関してもそうだ。「やる気がないのか!そんなんじゃ東大に行けないぞ」などなど百万回くらい言われてきたが、僕は勉強がしたいとも、東大に行きたいとも言ったことがないのだ。

さいころからそんな調子だったので、今では自分がどうしたいか伝えるだけで罪悪感に苛まれてしまう。

 

自分が何をしたいか(というか、したくないか)は、本来僕が決めることのはずだ。

それに、はっきり言って僕は、自分が大多数の人間よりマシなことを言っていると思っている。僕の話に少し耳を傾けてくれれば、よくなるところだってたくさんあるのだ。

 

しかし世の中の人は、相手の言ってることが正しいかどうかなんて考えない。バンクシーだって、「自分が顔を出している間は誰も話を聞かなかった」と言っている。

人間は、相手がなんとなくエラそうとか、体がデカくて強そうとか、顔がいいとか有名だとか、そんな理由で言うことを聞くのだ。

 

テロリストは、そんな理由がなくても相手に話を聞かせることができる。しかも大の大人たちが慌てふためいて自分の要求を叶えようとしてくれる。

なんとまあ、自分の欲求を勝手に決めつけられてきた僕の人生と正反対ではないか。